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 この度、敬愛する朴潤植牧師が出版された著書について、ここに書評する機会が与えられた事を心から感謝申し上げます。この本を手に取り、読み進めながら先ず私が感じた事は、著者の祈りと涙と感謝、そして聖書研究の奥深さです。これらのものが昼夜を問わない瞑想と、その真理と愛に対する驚異と、沸き上がる感動によって熱せられる事なしに、このような類の書物が世に出るはずがない、と確信を持って言うことができます。朴牧師は、この著書を執筆するために、ひざまずき、祈りながら聖書を何百回も読み、ヘブライ語を研究し、聖霊の照明を受けるが、古今の数多くの神学的書籍を手広く渉猟(しょうりょう)するのに数年を要しました。しかし、著者は聖書だけを手がかりにして、この文全体を書き綴っています。この著書には、学説の引用や例話が全くありません。私たちが聖書以外のものをもって福音と救いを説く事は出来ないという、著者の敬虔さがこの文章を通して伝わってきます。文章を書く時、その文字一つ一つが真実と純潔の度量を持って、文を綴るという事は決して容易な事ではありません。その意味でも本書は、それらの純粋性と真実性、そして、その真理の確かさに於いて、近年稀に見る名著と言えます。 


 我々の教会や大学の図書として閲読される事を望むのはもとより、この本が国内外の多くの人々に読まれることを願って止みません。それほど本書は永遠に残る貴重な財産であると確信しています。 

 著者の持つ膨大な聖書知識とその理解の深さは比肩するものがないほど深遠です。著者の頭の中には、聖書全体の膨大な文章がすべて索引化されていると言っても良いでしょう。無尽蔵な聖書の金鉱、その鉱脈の地図が実に鮮やかに描かれています。そして、そこに連結させる環を適切な対象を選んで構築する、凄まじいまでの具象力を持っています。 

 さらに特筆すべきは、この文書は、1968 年から研究を始められ、1983 年には既に国内外の諸教会で語られ、2005 年にその大意を完成して体系化されたものであるという点です。すなわち、この度の発刊が、著者の50 年に及ぶ牧会と40 年余に渡る祈りと思索を経て現れた所産であるという事実は、ある意味、我々キリスト教学界へ与えられた警告として厳粛に受け止めるべきでしょう。 

 さて、この著書の核心的な価値が明らかになるのはこれからです。実を言うと、私が初めに本書の書評依頼を頂いた際、この本が聖書神学、中でも旧約聖書の創世記に関するものであり、一人の歴史神学者として私見を述べるのは僣越であるとの思いがあって、非礼にも一度お断りした経緯があります。真にもって私が驚いたのは、この著書が、まさに歴史神学の大憲章であるという事です。ここにある聖書注釈の妙味と洞察の深さは、それが実際の歴史を紐解く鍵として毅然たる光を放っています。それは、私が歴史学者であるからそう申すのではありません。 

 この本の中に、実際の歴史や歴史学に関する研究の前提とその方法論、そして歴史叙述に対する、鋭い判別力とその枠(構図)が明示されている、これが事実なのです。まさにこれは歴史研究の新たな啓示です。それと共に、これからの歴史研究にとって指標となるべきものです。それが1 から40 項目の中に明解に備えられています。 

 更に私が驚いたのは、表紙に大きく印字されている聖句が、私の長年に渡る歴史研究の中で常に典拠としている申命記32章7節から8節の御言葉であったことです。 

「いにしえの日を覚え、代々の年を思え。あなたの父に問え…」 

 朴牧師はその聖句を持って、この著書の道標とし、大前提としています。私は、朴牧師が著されたものを拝読した事がありませんでした。また朴牧師様も私の著書をお読みにはなっておられないだろうと推察します。よしんば、読まれたことがあるとしても、どの隅に埋もれているかも知らない、私の歴史研究の前提としている聖句をわざわざ尋ねたとは思いません。それはさておき、その聖句が朴牧師のこの研究の大きな柱となっているのです。私がこの事実に驚き、驚愕の心情でこの本を精読せざるを得なかったかをご理解頂けた事と思います。もしも、この書評が他の人によってなされたとしたら、私には後悔だけが残った事でしょう。また、皆様もこの著書に対する重要な見解について知る機会を逃してしまわれた事と思います。著者の意図が必ずしもそうであったかは分かりませんが、この著書は現代に於ける歴史研究の教科書として最も斬新な指針であり、その方法論の透明さにおいて異彩を放っています。これこそ歴史精神のキリスト教的造形と言えるでしょう。 

 この著書のタイトルがまさにそうです。『創世記の系図』、著者は創世記が聖書全体の序論であるだけでなく、人類と世界救済史の青写真であると言明しています。すなわち聖書の縮刷版という事です。言い換えれば、マイクロ聖書です。私たちの体のある部分から微量の皮膚や骨を取って、その幹細胞を培養すれば体全体になるという現代生物学の原理はまさに聖書的です。創世記一つを取って、それを深く、正しく読み解くなら聖書全体の救済史の奥義を解する事ができるという事です。まさに、本書の題名を、『創世記の系図から読み解く神の救済史的経綸』としても良い程に、創世記の枠を越えた人類救済史の荘厳なる大パノラマを論理化した本であります。 

 著者は、「信仰は過去から出る」と言います。過去は救済史に於けるすべての過程であり、神の愛と涙の歴史であるという事です。これは聖書全巻を突き通す銘言です。実に「聖書は歴史書だ」という定義は、信仰と歴史の関係をその核心と見るキリスト教の真髄です。ところで、今日まで何故そこに言及されずにきたのかは知る由もありません。歴史の相対性とその地上性の故か、或いはなにがしかの憚りがあったであろう事は否めません。 

 敬虔主義神学の誤謬(ごびゅう)がもしあったとすれば、それは、救いが世界との隔離やその疎遠からくるという主張です。しかし救いと摂理は、一日一日と積重ねられてきた歴史の中で成就されたという事実が闡明されています。言い換えれば、本書は信仰をただ宗教的な次元に留まらせることなく、歴史的の中で生態化させて普遍化させているのです。これは、1917 年に李光洙が切実な思いで実現するよう願った、韓国のキリスト教会に課せられた長年の課題でした。その事を再認識させたのみであらず、見事に大成させたと言う点で、本書は高く評価されるべき功績と言えます。そのような歴史的救いと贖いの脚本を朴牧師は族長たちの系図から見出しました。筆者は、一日一日が積重ねられた集大成としての数百年、その間の時代ごとに、それも全域において、贖いの経綸の実体が如実に現れていると述べています。更に興味深い事に、筆者は各族長たちの名前をすべてその原語から解釈し、それらがどうその時代の背景や聖書の文脈に直結されるのかを明らかにしています。まさに、その妙味は圧巻です。これは歴史への新たなアナログ方式の適用です。 

 本書を読みながら私は何度膝を打ち叩いたことでしょう。また、このような構図設定が、彼らの物語、すなわち彼ら族長たちの時代で終止したのではなく、今の時代にまで繋げられており、その原型として創世記の系図が私たちに示されていると筆者は述べています。だとすれば、これ以上聖書と私たちとの関係を生々しく結びつけるものは他にはないでしょう。「聖書は自分の物語である」と明らかにした事が本書の最も大きな功績と言えましょう。 

 このようにして本書は、様々な族長たちの生をすべて連結し、そこで救済史の神秘を解いて行きます。そして、その事を通して、救いが決して世に於ける突然変異や断絶によってもたらされたものでないという結論に至らせます。このような歴史解釈は救いの成就が漸進的であって、激変や変革によって成るものではない、という発展史観を、聖書の歴史観を持って確認したものであります。 

 このような漸進性を著者は、エゼキエルがケバル川で見た啓示、すなわち聖殿から出た小さな水の流れが小川になって、やがて川となり、大河となって、遂に海を塑性させた過程からこの啓示を読み解く事によって明らかにしています。また本書は、終末論を審判が下される恐るべき日としてではなく、イエス・キリストが栄光に輝く主として再臨されるその日を歴史が完成される終末とし、その恵みと祝福に満ちあふれた日を渇望と感激をもって讃美しながら待ち望むようにと結んでいます。 

 これはまさに、キリスト教を感謝と喜び、そして、希望の宗教として決定づける福音です。この地上の歴史がまさに神様の歴史であるという、私たちの生涯が生命と祝福に満ちあふれたものである事を示唆するものです。 

 著者は実に敬虔な信仰と神学によって、救済史と世俗- 世界史を一致させる大業を成し遂げました。これは初期アウグスティヌスの救済史世界史の二分法を克服することとして、キリスト教を世界と隔離させる、小分派的、神秘主義的な隠遁を警戒する、伝統神学の金字塔であります。然るに、それがこの創世記の研究によって推理された事は実に驚くべき事です。歴史が過去から未来へと一直線に進行する過程で時至り、主の再臨という終末の完成を見るならば、それこそが現代歴史神学の根幹である聖礼神学(Sacrament)と成肉身神学の概括的体系となるわけで、それがこの著書によって、確かなキリスト教信仰の礎石として、まさしく朴牧師の号(雅名)「暉宣(きせん)」のごとく、明らかにされ、宣揚されているのです。この神学は韓国キリスト教会が一日も早く補い、取り揃えるべき、最も必要な中枢神学であります。 

 この著書は私たちに聖書の神妙な深みに至らせるガイドとしての役目を果たしたのみならず、キリスト教の神学的、聖書的大計を歴史的な系譜研究に於いて成就した功績は、韓国キリスト教会で最も注目されるべきものです。そして、その類い稀なる業績は、必ずや韓国教会史に長く刻まれる事でしょう。信仰の使徒であり、歴史神学の巨大な体系を奥深く、しかも明瞭に解した本書の著者、我らの朴潤植牧師に満腔の拍手をもって謝意を表しようではありませんか。


前 延世大学校 名誉教授

白石大学 碩座教授


閔庚培


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