b1.png


「いにしえの日」を覚えなければならない理由

 モーセは40年間荒野で生活を送り、カナンの地を目前にしてイスラエルの民に「いにしえの日を覚えよ」という告別説教を語った。「いにしえ」と「代々の年」とは単なる古き良き「昔話」ではない。アダムが堕落した時から人間の歴史に絶え間なく介入され、熱い愛を伝えてこられた神の摂理の記録である。それと共に、その摂理に従って屈することなく敬虔な信仰の道を守り貫いた信仰の先祖たちの話だ。荒野でカナンの地を踏む事を切望したイスラエルの民が「いにしえの日」を覚えなければならなかったように、今日の荒野なる教会で霊的なカナンの地(天国)を仰ぎ見つつ歩む私たち信徒にとっても、「いにしえの日」は必ず学ぶべきメッセージである。


「系図」の再発見

 「~を生み、~を生み」が繰り返されているがためにうんざりしてしまう創世記の系図には、まさにその「いにしえの日」、「代々の年」の核心的な部分が圧縮され記録されている。人間と全宇宙を回復しようとされる神の救いの経綸が、その中にすべて凝縮されているのだ。すなわち、創世記の系図に記されたほんの数行の中に、2300年という長い歳月に渡って行われて来られた神の救いの御わざが詰め込まれているのだ。それゆえ、創世記の系図に記された人物の名前はもちろん、一言一句すべてを深く吟味する必要がある。

 例えば、初代内閣総理大臣であった「伊藤博文」という名前を例に挙げてみよう。「伊藤博文」という名前の中には、彼の性質や時代像、そして彼が行った業績などが込められている。「創世記の系図」に記録されている個々の名前も同様である。本書は、アダムからアブラハムまで20代の族長たちの名前と聖書の記録を通して、一人一人の名前に隠された霊的な意味をつまびらかにしている。この本を通して私たちは、聖書に対する新たな発見をする事になるだろう。


救済史は「分離」の御わざ

 創世記はカイン、ハム、イシマエル、エサウなど敬虔な系図の分類から離脱した、罪悪の系図も省くことなく記録している。なぜそのように記録されたのだろうか。それは、彼らの系図がまさに今日の私たち自身の不信仰と罪をそのまま写し出す鏡だからである。私たちの前には常に二つの道が共に開かれている。だから系図は終わりなき「分離」の御わざなのだ。天地創造からこのかた、痛みをこらえながらも屈する事なく罪との分離を行って来た過程が、個人的に、また歴史的に実現されてきた。その「分離」の代表的な人物がアブラハムだ。アブラハムこそ、この本の主人公として挙げることができるだろう。まさに彼からマタイによる福音書に記録されているイエス・キリストの系図が始まるのだ。


アダムとレメクは56年、ノアとアブラハムは58年間同時代を生きた

 系図を詳しく探ってみると、実に驚くべき事を発見することができる。雲を掴むような話であった「いにしえの日」が鮮明なストーリーとなって蘇り、今日の「自分自身のストーリー」として動き出すのだ。昔話のように感じていたアダム以後の祖先の寿命が、たった1年の誤差もなくピッタリと合うことに気づく。930歳を生きたダムと777歳を生きた9代目レメク(ノアの父)は、56年間同時代を生きた。950歳まで生きたノアは、彼の10代目の子孫アブラハムと58年間、同時代を生きた。これら全てがキリスト教史上、初めて明らかにされた事実である。

keizu.jpg


アブラハムはテラが死んだ後、カルデヤのウルを去ったのか?

 アブラハムは神の命令に従ってカルデヤのウルを離れ、次にハランを離れてカナンに移住した。使徒行伝7章4節には「彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させた」と記録されている。しかし、年代を解いてみるとアブラハムがハランを離れた時、彼の年は75歳であり、父テラは145歳だった。テラはさらに60年ハランに滞在した後、205歳で死んだ。これは聖書の記録の間違いなのだろうか。そうではない。このストーリーにはアブラハムの「分離」と「決断」が込められているのだ。



XE Login