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列王紀上6:37-38 

『第四年のジフの月に主の宮の基をすえ、第十一年のブルの月すなわち八月に、宮のすべての部分が設計どおりに完成した。ソロモンはこれを建てるのに七年を要した。』

列王紀上7:1 

『またソロモンは自分の家を建てたが、十三年かかってその家を全部建て終った。』

列王紀上9:10   

『 ソロモンは二十年を経て二つの家すなわち主の宮と王の宮殿とを建て終った時、』

(参考‐歴代志下3:1-2, 8:1)


 ソロモンは、父ダビデが準備するも果たすことができなかった神の宮の建築を完成させた人物である。ソロモンが神の宮を建築した期間については、第4年のジフの月(宗教暦2月)に基をすえ、第11年のブルの月(宗教暦8月)に完成したという列王紀上6章37-38節の御言葉を根拠に、7年6ヶ月かかったという見解が一般的だ。しかし、ソロモンが神の宮を建築した期間の根拠となる上の3つの聖書の箇所を見ると、建築期間を「7年6ヶ月」や「8年」と記録せず、「7年」と記録している。では、建築期間を「7年」と記録した理由はなぜだろうか?


 列王紀上6章37-38節に登場する「ジフの月」と「ブルの月」は、聖書の暦において2月と8月を指している。


 ソロモンが建てた神の宮の建築期間をより正確に計算するためには、上のような聖書の暦に対する理解と共に、「第四年」、「第十一年」と書かれているソロモンの統治年代の計算についての理解が必要だ。当時の民間人が使った暦は、ニサンの月(宗教暦1月)から次の年のニサンの月までを1年とする暦であった。しかし南ユダの場合、王の統治年代を表す際にはニサンの月ではなく、ティシュリーの月(宗教暦7月)から次の年のティシュリーの月までを王の統治1年として計算した。つまり王の統治期間は、宗教暦の1月から始まったのではなく、7月から始まったわけだ。

 南ユダの場合、王の統治年代を計算する際「ティシュリーの月」を使用したという見方に対する聖書的根拠は次のとおりである。


1. ヨシヤ王の宗教改革の期間

 南ユダの16代目の王であったヨシヤは、第18年に神の宮の修繕を始めとする大々的な宗教改革を行ったのだが(列王下22:3)、それらをすべて終えた後、ヨシヤ第18年ニサンの月に過ぎ越しの祭り(1月4日)を行った(列王下23:23, 歴代下35:1-19)。

 神の宮の修繕(列王下22:3-6, 歴代下34:8)、律法書の発見(列王下22:8-13, 歴代下34:29-32)、大々的な偶像の撤去(列王下23:4-20)など、数多くの出来事がヨシヤ第18年のうちに、それもニサンの月(宗教暦1月)の14日前に行われたのを見るとき、南ユダは確かにティシュリーの月(宗教暦7月)を王の統治年代の基準として使用していたことが分かる。ヨシヤ王はエルサレムでの改革を始めとして(列王下23:4-7)、ユダ全域に至るまで改革を断行し(列王下23:8-14)、ついには北イスラエルの地域まで改革を実行した(列王下23:15-20)。もしも王の統治年代を「ニサンの月」を基準にしていたとすれば、ヨシヤ第18年が始まるニサンの月に宗教改革を始め、14日目にすべての改革を終えて過ぎ越しの祭りを行ったことになってしまう。


2. ネヘミヤ書に記された出来事の順序

 バビロンの王アルタシャスタの給仕役であったネヘミヤは、エルサレムの城壁が崩されたという知らせを聞いた後、数日間泣きながら天の神の御前に断食の祈りをした(ネヘミヤ1:1-11)。

後に、アルタシャスタ王は酒をついでいたネヘミヤに対し「なぜ悲しげな顔をしているのか」と尋ねたところ、ネヘミヤは王にエルサレムの荒廃の知らせを伝え、自分をエルサレムに送り、町を再建させてほしいと懇願した(ネヘミヤ2:1-5)。これらの出来事を通して見れば、王に酒をささげたのは、ネヘミヤ1章に出てくる荒廃の報せを聞いた後であることに疑いの余地がない。しかし、ネヘミヤ1章と2章に記録されたそれぞれの出来事が起こったのは、1章がアルタシャスタ王第20年キスレウの月(宗教暦9月)、2章はアルタシャスタ王第20年ニサンの月(宗教暦1月)と記録されている。これでは、2章の出来事が1章の出来事より先に起こったことになってしまう。

 この矛盾点を解決する糸口として考えられるのが、年代方式の違いである。すなわち、ネヘミヤがアルタシャスタ王第20年キスレウの月(ネヘミヤ1:1)から4ヶ月が過ぎたニサンの月を、アルタシャスタ王21年ではなく20年(ネヘミヤ2:1)と表現したのは、王の統治年代をティシュリーの月から次の年のティシュリーの月までとして計算する、ユダヤ式の方法に則って記録したと言うことができる。つまり、ネヘミヤは王の統治年代の計算方法をわざとユダヤ式に換えて表現したのだ。

 このような聖書の事実を根拠に、ソロモンが神の宮を建築した期間を計算してみると、王の統治年代をニサンの月(宗教暦1月)を最初の月として計算すれば8年(7年6ヶ月)であるが、ティシュリーの月(宗教暦7月)を最初の月として計算すれば7年(6年6ヶ月)となる。これを詳しく計算してみると、ソロモン第11年に属しているブルの月(宗教暦8月)は、ティシュリーの月を基準としても、ニサンの月を基準としても両方同じ月で終わる。しかし、ソロモン第4年に属しているジフの月(宗教暦2月)は、王の統治年代をティシュリーの月を基準として見る場合とニサンの月を基準として見る場合とでは、1年の差が生じる。よって、列王紀上6章38節で神の宮の建築を「8年」と表記せず「7年」と記録したのは、南ユダがソロモンの時代からすでに「ティシュリーの月方式」を使用していたことを表しているのだ。

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