セムの長男<エラム>

2017.07.16 21:01

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 セムは洪水以後、男子と女子を生みました(創10:1)。「エラム、アシュル、アルパクサデ、ルデ、アラム」の5人の息子のうち、アルパクサデは3番目の息子です(創10:22)。聖書は5人の子の名を挙げながら、長子のエラムではなく、3番目のアルパクサデに焦点を当て、彼を通じて神の御計画が成就される事を示唆しています。
 セムは、エラムとアシュルに続き、3番目の子を生んだ後、「領域」という意味を持つ「アルパクサデ」と名づけました(創10:20)。セムは、3番目の息子アルパクサデを通して、彼が受けたその祝福と信仰の領域が、代々に繋げられていくよう信仰によって願ったことでしょう。創世記10章の系図の中には、アルパクサデを通して神の御心が成される理由について何も述べていません。しかし、その後の聖書の記述の中から、エラムとアシュルの民族が選民イスラエルとどのような関係を持って登場するのかについて調べてみると、彼らが聖書の主流から外れていった事を知る事が出来ます。
アシモフのバイブル(アイザック・アシモフ、パク・ウンヒ訳、2002年)には「セムの先に生まれた2人の子たちは創世記が成文化される当時、『セム』の世界で最も強い種族であった、エラム人とアシュル人の名前の先祖、すなわちエラムとアシュルである。わざわざ『セム』と引用符を付けたのは、エラム人が実際には現代的な意味では、もうそれ以上セム族ではないからである」と記録しています。


セムの長男と次男が、救済史の系図をつなぐことの出来ない理由


セムの長男<エラム>


 エラムは、「上がる、高い」から由来し、「高いところ」という意味を持っています。エラムは当時の古代近東のチグリス(ヒデケル)川を境に最も右側にいたペルシア湾とカスピ海との間の高い山岳地域に居住していたエラム部族の先祖です。エラムは地政学的条件上シュメール、バビロン、アッシュル、メデとパサなど、近隣のメソポタミヤのもろもろの国々と絶えず戦争をしました。アブラハムがロトを救い出すために訓練した家の318人を引き連れて戦いに臨んだ時、敵軍の4つの国の中で主動した国がエラムであって、その国の王の名前は「ケダラオメル」でありました(シナル、エラサル、エラム、ゴイムの4つの国の侵攻、創14:1-17)。当時東側の付近で始まったエラムの勢力が西側のヨルダンまで速く拡張したのです。
 エラムは弓を使うのに優れた武力的な民族(エレ49:35)、好戦的で征服力の強い民族でした。エゼキエル書32章24節では「生ける者の地に恐れを起こした者」と言われています。アシュルが選民ユダを侵略する時、軍隊を送ってエルサレムの滅びを助けたこともあります(イザヤ22:6)。このように選民を苦しませたエラムの国に神自ら災いと怒りを下し、剣を送って滅ぼし、王と族長たちを滅ぼし尽くすと言われました(エレ49:36-38,エゼ32:24-25)。またバビロン捕囚から帰還してエルサレムの聖なる宮の再建を妨げた人たちの中の1人がエラムの人でした(エズラ4:1-9)。このようにエラムの人々は選民イスラエルを苦しませる国として登場しています。当時エラムの地域は現在のイラン南西部の高原地帯であるクジスタン(Khuzistan)地方です。

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