セムの神、主はほむべきかな

2017.07.03 20:07

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 この「セムの神、主はほむべきかな」と言う感嘆調から見られるように、セムを通じてノアの家庭に与えられた祝福が持続し、祝福の花が咲く事をノアが信仰によって望み見たのです。すなわち、「セムの子孫を通じて神の御名が誉を受け、持続的に呼ばれるように願う」という意味で、将来、神がセムの子孫を通じて栄光を受けて、その名声を全地に響き渡る事を望みながら、ほめ歌を歌ったのです。全宇宙を統治する最高の神が、セムの子孫を通じて栄光を受けると宣言されたので、セム自身にとって、いかに大きな名声であり、栄誉ある名声でしょうか。一個人に与えられるもので、これより大きな栄光はあるでしょうか。
 その信仰告白の通り、セムの子孫たちによって神の御名は呼ばれ続けられました。セムの子孫であったアブラハムを通じてアブラハムの神につながり、さらにアブラハムはまたその子孫に信仰の伝授を徹底的に行うことによってイサクの神、ヤコブの神へとつながっていきました(出3:6,15,マタイ22:32,マルコ12:26,ルカ20:37,使徒3:13,7:32)。アブラハムが信仰の伝授を徹底的に行ったのはそれがアブラハムを呼ばれた神の目的であったからです(創18:18~19)。
 ついにヤコブの12人の子たちの中で、「わたしは今、主をほめたたえる」(創29:35)との意味を持つ、4番目の息子ユダの部族を通じてシロ(メシヤ)が生まれることが預言されました(創49:10)。そして、その讃美はセムの子孫に始まり、その後の代にいたるまで山びこのように響き継がれていきました。
 真に将来、来るべきメシヤはすべての名の上に優る名を持つお方として(ピリピ2:9)、またすべての尊さと栄光と誉れ(讃美)を受けるにふさわしいお方として来られます(黙5:12)。やがて再臨する私たちの主の御名はもろもろの王の王、もろもろの主の主として、最も大いなる栄光と名声を轟かせるはずです(歴上16:27,Ⅰテモテ6:15,黙17:14,19・16)。

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