2016.02.17 17:13
エノクは神とともに歩まれ、神は彼を取られました。
この言葉はエノクが死んだ後、神が彼を取られたという意味ではありません。「取られた」と言う言葉はヘブル語で「ラカッフ」で、これは「この世と異なる場所」、すなわち「神の御国へ生きたまま移すこと」を意味します。これは地上で生存していたエノクを死を通さないで、霊の体に変化させて神のいる所へと取り上げて移したということです(ヘブル11:5)。エノクの他に生存したままに死を見ないで霊の体で昇天した人がまさにエリヤです。「ラカフ」と言う単語はエリヤがつむじ風に乗って昇天した記事にも使われています(列下2:10-11)。「ラカフ」は、実に人間が到底乗り越えることが出来ない死と言う障壁をも、全能なる神の力の前ではひざまずくしかないということを教えてくれます。では、エノクが霊の体として昇天することが出来た秘訣は何でしょうか? 創世記5章24節では、エノクが神とともに歩んだため、神が彼を取られたと言われています。創世記5章24節の「ともに歩む」を意味するヘブル語「イトゥハレッフ」は、「歩く」と言うヘブル語の動詞(ハラッフ)の再帰動詞として、「自分自身の思いを他の人に隷属させてあとを従って行く」という意味です。このような意味から見る時、ともに歩むことは、他のなにも考えずそのお方の御心に従って徹底的に一歩一歩歩んでいくことを意味します。だから厳密な意味でともに歩むとは、体がちがうだけで一人が行くのと同じです。果たしてエノクは神とともに神の道に従い、神の御心を抱いて、300年のあいだ一途な心で変わりなく歩みました。誰からの強要もなく、自発的に喜びの中で神だけに従って歩みを続けました。これが神を喜ばせ、死なないで生きたまま昇天の栄光を享受させられたのです(へブル11:5)。私たちもエノクのように神と手をつないで常にともにして完全に歩む時、うまく死の支配から抜けられることが出来ます。
ここで「今わたしは死なないで生きたまま変化出来るのか」と問い求める前に、「わたしの生活の中で神とともに歩んでいるのか」を問い求めるべきです。
特に「ともに歩む」に該当するヘブル語「ハラック」が、申命記30章16節では命と結び付けられています。ともに歩む中には死の御わざから命の御わざに進み出る秘訣があるということです。確実に聖書は、神との和解、親密な交際が実現できれば罪の克服と死からの解放と永遠の命があることを約束しています。
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