神の救済史的経綸

2015.06.10 13:07

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 聖書は、天地創造の記事から始まり(創世記12)、新しい天と地の到来を告げて完結しています(2122)。聖書は単なるイスラエルの民族史ではなく、「創造」という大きな歴史的出来事を起点とし、新しい天と新しい地の完成に至るまでの経過が「神の救済史」という大主題のもとに記録されているものです。

 

 「救済史」という言葉の「救済」と言うのは「解放」と同じ意味で、「罪」の束縛からその代価を支払われ、自由の身とされる「救い」を指す言葉です。その罪の結果である「死」(ローマ6:23)の代価を私たちの代わりに支払い、救済を成し遂げたお方は天下でただ一人、イエス・キリストだけです(マタイ20:28)テモテ第一の手紙26節で「彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが」と言われ、マタイによる福音書2028節では、「また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」、エペソ17節では、「その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである」と言われています。また、Ⅰペテロ11819節では、私たちがあがない出されたのは、銀や金のようなものによってではなく、「キリストの尊い血」によるものであると言われています。神は、罪のないお方に(ヘブル4:1415)、すべての人の罪を負わせ、私たちには神の義を贈り物としてお与えになりました(Ⅱコリ5:21,エペソ2:8,ローマ4:25,コロ1:20-22,Ⅰペテロ3:18,ローマ8:3-4)。神は、罪のないお方を罪人と同じ姿でこの世に送り出し、「律法」の要求を満足させるために、御子イエス・キリストの命を代価として支払われたのです(ローマ8:3-4)。コロサイ12122 節に「あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死(十字架の血潮-20)をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである」と言われている通りです。


 「救済史」とはまさに、イエス・キリストの死と復活を中心にした、罪人に対する神の救いのみわざの歴史です。さらに幅広く「救済史」を定義するなら、人類の先祖であるアダムとエバの堕落によって失われた楽園を回復させるために、人類と万物を新たにしようとする神の計画であると言えます(21:5)この世の歴史は、すべて神の「救いの歴史」という土台の上に据えられています。なぜならば、神は歴史の支配者であり、その発達と変化の源であるからです(歴上29:11-12,ヨブ12:23,ダニ4:25,詩103:19,エペソ1:11)

 神様の救済史は、この世の歴史と分離された別個のものではありません。神は歴史の中に入られ、歴史と共に、歴史を通して、歴史上で働いておられるからです。したがって、聖書を詳しく調べてみて初めて、世界史の過去と現在と未来の真相を明らかにする事が出来るのです。

 

 今日、私たちは御子なるイエス・キリストを信じる信仰によって神の子とされる恵みを受けました。しかし私たちはこれまで、この巨大なこの世の歴史を支配しておられる神の御心がどれ程広く、またそのお方の計画がいかに繊細であるかを悟らずに過ごしてきたのではないでしょうか。今こそ私たちは聖書に記された神の救いの計画を一つ一つ、詳細に考察する事によって、大いなる神を見る目が開かれ、神が成された大いなる救いのみわざを声高らかに誉め讃える者となるべきです。そして、私たちがその救済史の過程において、現在どの地点に立っているのかを知り、自分に与えられた使命を見つけ出す事が出来るようにと心から願います。

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