2015.06.10 12:49
朝鮮王朝後期の実学者、朴趾源(パク・ジウォン、1737~1805)は、「法古創新」という有名な言葉を残しました。これはまさに申命記32章7節の「いにしえの日を覚え、代々の年を思え」の御言葉と同じ意図を持つ言葉です。この「法古創新」は、「昔の事を模範にして新しいものを創造する」という意味であり、「ふるきをたずねて新しきを知る」を意味する、「温故知新」に比べ、はるかに力動的な要素を持っています。
この世にあるものは常に変化するため、何が「古いもの」で何が「新しいもの」であるかを明確に分ける事は出来ません。しかし、神の御言葉は今も生きていて、永遠に変わることがありません(ヘブル13:8,1:12)。その御言葉は、昨日も今日もいつまでも変わることなく、錆びる事も朽ちる事もありません。そして、両刃の剣として今も私たちの中に働いて、その力をあますことなく発揮しています(ヘブル4:12)。
私たちが、モーセが神の啓示を受けて民に宣べ伝えた、申命記32章7節の御言葉「いにしえの日を覚え、世々の年を思う」時、法古創新の真の意味を悟り、行う事が出来るでしょう。神の御言葉自体がまさに新しい歴史です。その御言葉を離れ、忘れ去るがゆえに悪が生じ、傷を受け、邪曲な歴史が生じるのです(申32:25)。私たちも、安息の地カナン(神の御国、天国)を目指す聖徒として、120年の生涯の幕を閉じようとするモーセが切なる思いを込めて最後に語ったその言葉を、今日私たちに与えられた神の御声として、慎しんで受けるべきです。聖霊の助けに委ねつつ、系図の中に埋もれている「いにしえの日」と「代々の年」を探り求めるなら、必ず神様の贖いの計画の中に隠されている宝を見つけ出す事が出来るでしょう。しかし、その宝を手にした者が果たすべき責務がある事を忘れてはなりません。それは、残されるべき敬虔な信仰の子孫へ、その宝を正しく教え、伝授する事です。それこそが、神が私たちをこの世に残された目的であり、契約の子孫たちを世の終わりまで保とうとする神が定められた贖いの摂理です(創世記45:7)。
今日、このような神の御心を悟り、この道を歩む人々、系図の中に隠れている「いにしえの日」と「代々の年」を思い、敬虔な信仰の先祖たちが歩んだ道のとおりに従い行く人々は、ヘブル人への手紙の著者が言われた、「残された安息」の主人公となる事と確信します(ヘブル4:1-11)。
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