神の友

2019.01.23 17:14

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                                         誠なる信徒は「神の友」であると呼ばれる者になるべきです。

 

 もちろんリウと同じ時期に、神を信じる敬虔な信仰を守っていたエベルとセムの系列の子孫が存在しました。彼らはその共同体を離れ、ユフラテ川を渡って、聖なる信仰の共同体(エブラ王国)で暮らしていました。エベルに従わず川を渡らないで暮らしていたペレグとその子孫たちは、今の場所を離れなくても信仰生活を正しく出来ると自負したことでしょう。しかし人本主義や偶像を崇拝する環境の中で、彼らはやがて信仰を守らなくなりました。バベルの塔の出来事があってまもないアブラハムの時代には、すでに敬虔なセムの子孫たちさえも、時代の流れに従って偶像を拝むなどにより、腐敗した姿に完全に堕落していました(ヨシュア24:2)

 そのような環境の中で、神はアブラハムを選ばれました。罪がはびこっていた時代にノアを呼び、箱舟を造らせた神は、再びその罪の温床からアブラハムを呼んで、神の国を建設させようとされたのです。その時アブラハムは神の召しに従って、ふるさとの生活基盤をすべて放棄し、親戚や友などのすべての人間関係を清算しました。行く先を知らずに進む道は真っ暗でしたが(へブル11:8)、神から与えられた御言葉による召しにしたがって(12:4)、旅人の道を歩き始めたのです。それはペレグやリウ、セルグ、ナホルもなし得なかった事をアブラハムは決断し動いたのです。

 それは、アブラハムは世の友になることを望まず(ヤコブ4:4)、「神の友」と呼ばれるほど、神と親密になる事を切に願っていたからです(25:14)。アブラハムは聖書で唯一「神の友」という尊い称号をもらった人物です(歴下20:7,イザヤ41:8,ヤコブ2:23)。今の私たちは「世の友」でしょうか。それとも「神の友」でしょうか。

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