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 第1の人(創5:1)と第2の人の系図(マタイ1:1)が記録される時、ヘブル語で「セフェル」、ギリシャ語で「ビブロス」とそれぞれ同じ「書」を表す修飾語が用いられている事が分かります。この事は、マタイによる福音書1章の系図も創世記の系図のように、膨大な内容が記録されている一つの完成した書物である事を暗示しています。

 系図には、最も必要とされる出来事だけが凝縮して記されている事を私たちは忘れてはなりません。系図には、そこに記録されている人々が、それぞれの世代の中で荒れた世と戦いながら、彼らが受けたすべての偉大な働きを細かく記録することが出来ないため、その膨大な内容を集約した形で系図に表しているのです。(詩40:5,71:15-16,139:16-18,ヘブル11:32)。

 

ヨハネ21:25 

 イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。

 

 では、系図にある、それぞれの世代を代表する人々が、熱く語っている共通のメッセージとは何でしょうか。何のために彼らは孤独な戦いを続けてきたのでしょうか。それは、救済の御わざを代々の彼らの子孫に受け継がせることでした。そのために、セツやセムの敬虔な子孫たちは世から捨てられ、背かれ、心身の痛み、涙とため息、悲しみと孤独の中にあっても、それぞれが救済史のバトンを受け継いで走る自己の役割に従事したのです。

 

 ですから創世記の系図を詳細に考察すればするほど、人類に対する限りない神の愛の大きさを感じる事が出来、恵みの深淵を豊かに体験する事が出来ます。創世記の系図、それは、まさに約束のすえが来られるまで、敬虔な子孫らが受け持った聖なる戦いの痕跡によって溢れています。このような神の熱心が、遂にイエス・キリストの受肉と十字架による贖いの御わざによって人類の救いを成就させたのです。

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