エベルのエブラ王国建設

2018.03.07 20:40

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               エベルはユフラテ川を渡り、エブラ王国を立てました。

 

 多くの人々が神に逆らいバベルの塔建設の運動を起こしていた頃、エベルはメソポタミアからユフラテ川を渡り、「エブラ王国」という大きな都市国家を建てて、創造主なる神を信じる正統な信仰を繋いで行きました。エベルは敬虔な子孫として、霊的な改革と宗教的浄化運動の旗を掲げて川を渡りました。

 参考文献によれば、エブラという王国があった遺跡地で発見された粘土板の一部を判読した結果、エブラという王国は今のシリアのアレッポ地域に建立されて芸術と学問が発達した文明都市国家であると明らかにされています。エベルはエブラを立てた人物であると同時に初代の王だったと伝えられています。おそらく、エブラは初めに小規模形態で存在し、エベルの時から本格的な国家の形態で栄えるようになったはずです。その都市国家の初代の王が敬虔な系列のエベルだったので、そのエベルの名をつけてエブラ王国になったと推定されます。

 粘土板によると実際にエベルが治めた紀元前2300年頃には、エブラが一番隆盛で栄え、芸術と学問が輝かしく発達し、当時ユフラテ流域の都市国家から朝貢を受けるなど、近東で最大かつ強大な国家だったことが明らかにされました。

 実際に、聖書の年代に従って計算をしてみると、エベルはアダム以後1723(おおよそ紀元前2391)に生まれて1757年にペレグを生み、2187年まで生きたので、エブラ王国の年代はまさにエベルの時代に当ります。これは考古学者たちによって、シリア北西部にある廃墟から発見された15,000個の書板を解読する中で(シュメール語をエブラ語に翻訳された世界最古の1,000単語辞典が一緒に発掘されたことによって解読が可能になった)明らかにされた内容です。

 ウォン・ヨンクク氏は、彼の著書『モーセ5(改正版)』の中で、「書板によれば、エブラ王国は南側にパレスチナ全体とレバノン、最近代史のシリアを含めてシナイまで広がり、西側にはキプロス、東側にはメソポタミアまで広がっていました。書板はエブラが交易していたカーザ、メギド、メルキゼデク、ソドム、ゴモラのような古代都市に対しても言及されてある」と述べています。

 このようにエベルが建てられた国は、当時「エブラ王国」と呼ばれるほど広大な領域と勢力を持っていたのです。

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