代々の年を思え

2015.06.05 15:19

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 モーセは、「代々の年を思え」と命じています。この命令は、以前に出てきた「いにしえの日を覚え」という命令と同じように思えがちですが、そこには明確な違いがあります。
 
1.代々の年
 「代々の年」と「いにしえの日」とでは、それぞれ過去を指すという点では一致しますが、「代々の年」は「いにしえの日」に比べ、はるかに具体的で細密な歴史を指しています。「年(シェノット)」という言葉は、「年(year)」を意味するヘブル語「シャナー」の複数形です。「いにしえの日」が幅広い過去の時間全体を含む言葉であるのに対し、「年」は「いにしえの日」の中の、ある特定の期間、特別に重要な意味をもつ時点を指しています。また、「代々」という表現は、「世代」を意味するヘブル語「ドール」が二度反復されている言葉であり、特に神の救いの御わざが表れた世代を指す時に用いられる言葉です。
 したがって、「いにしえの日」は、過去の時間の中で成し遂げられた全体的な「神の救いの御わざ」を指し、「代々の年」は、それぞれの時代に成された具体的な救済史的経綸を言います。そして、それら救いの計画の最も重要なものを凝縮し、記録したものが創世記の「系図」です。ですから、その「系図」を聖霊の助けをもらいつつ、詳細に調べる事によって、代々の年の中に隠された驚くべき神の救いの摂理が明らかになるでしょう。 
 
 
. 思え
 「代々の年を思え」の「思え」は、「ビン」というヘブル語で、基本的な意味は「分別」と「考察」です。ある事柄や状態を綿密に観察する事によって物事の理を悟り、深く考察する事によって正しく分別する事、それが「思う」という言葉の真の意味です。したがって、「代々年を思え」とは、単純に「過去を回想しなさい」という意味ではなく、熱心に研究し、観察して悟れという事です。預言者イザヤもイスラエルの民に向かって、「思いみよ」と繰り返し語っています。
 
イザヤ51:1-2 
 義を追い求め、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩と、あな
 たがたの掘り出された穴とを思いみよ。あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだ
 サラとを思いみよ。わたしは彼をただひとりであったときに召し、彼を祝福して、その子孫
 を増し加えた。
 
 この聖句の中にも、「代々の年に表れた出来事や、人々の経験に思いをめぐらしなさい」という意味が含まれています。イスラエルの先祖アブラハムとサラの信仰、そしてイスラエルの歴史の中で起った様々な出来事を「思い起こせ」という御言葉です。これは、たとえ彼らが今、バビロン捕虜という現実の中で、祖国に帰還する希望がまったく見えない状態であっても、神がアブラハムとの間に交わされた契約を思い、また、彼らの先祖がエジプトで奴隷であった時に神が成し遂げられた一つ一つの御わざを思い起こす事によって勇気を持ち、決して最後まで希望を失ってはならないというメッセージです。
 
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