2017.08.24 23:21
アシュルは「繁栄する、喜ぶ」から由来し、「繁盛するところ」という意味を持っています。その意味の通りアシュルは機会がある度に西進政策を推進して、その方向の領土を拡張し、古代の超大国を建設しました。アシュルの勢力が最も盛んであった時期は紀元前9世紀から7世紀までで、首都は「アシュル」であって、セナケリブ時代(紀元前705年~681年)には首都が「ニネベ」でした。
アシュル部族はニムロデに征服された後、セムの信仰的な継承を実現出来ず、ハムの子孫たちと同じく好戦的な民族として選民イスラエルを苦しませる側に立ちます。創世記10章11節で、「彼はその地からアッスリヤに出て…」と言われました。ここの「彼」とは、ハムの子孫ニムロデで(創10:6-8)、彼がセム部族のアシュル国を征服したことが記されています。当時ニムロデは世の権力者となった最初の人で(創10:8)、主の前に力ある狩猟者であり(創10:9)、大いなる町(城)を4つも建てるほど屈強な統治力を持つ英雄でした(創10:11-12)。彼は「反逆者」であるという名の意味の通りノアからつながれた神への信仰に逆らい、バベルの塔を建て、神の御働きに敵対するサタンの側に立つ者でした。
選民イスラエルの民との関係では、北王国イスラエルの首都サマリアがホセア王の時にアッスリヤの帝国のシャルマネセル王によって滅ぼされました(紀元前722年、列下18:9-10)。イスラエルの地を征服した後、アッスリヤの人々がイスラエルの地に入り、選民と混じって暮らした事によってイスラエルの人々は急速に堕落に走りました(列下17:27-33)。また北イスラエルを飲み込んだアッスリヤは南ユダまで陥落させるためにヒゼキヤ王の時、セナケリブ王が185,000人の軍勢を導いてイスラエルの町を包囲しましたが、神が撃ち殺したために彼らは皆、死体となりました(列下18:13-19:37)。
神は預言者イザヤを通じてアッスリヤを「アッスリヤはわが怒りのつえ、 わが憤りのむちだ」と言われました(イザヤ10:5)。しかし、アッスリヤもやはり神を認めず傲慢であったために結局は裁きを受けることになるであろうと預言されました(イザヤ10:12-16,14:24-25)。
このように、アッスリヤはセム部族でしたが、ニムロデ一党と混ざって、ますます信仰から遠ざかり、いつの間にか神に敵対する部族になったのです。そのため、信仰から完全に押し流されることになり、救済史の路線はセムの3番目の子であるアルパクサデを中心に継承されていったのです。
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