2016.01.11 10:02
讃美は神の力を行わせる原動力です。
神をほめたたえた時、エリコの城壁は崩れ(ヨシュア6:16-20)、サウロの悪霊は離れ(サム上16:23)、大地震と共に獄の土台が揺れ動いて戸が開き、すべての囚われていた者たちの鎖が解けてしまいました(使徒16:25-26)。また讃美を軍勢の前に進ませた時、敵は打ち敗られました(歴下20:20‐23)。これらのすべてのことは神が讃美の中に臨在され、御わざを行っていることを示しています(詩22:3)。ソロモンが主の宮のためのすべての工事を終えた時、歌うたう者たちが新しい亜麻布を着て、シンバルと立琴、琴をとってラッパを吹く120人の祭司たちとともに立ち、声を合わせて主をほめたたえました(歴下5:12)。そして、彼らがラッパとシンバルとその他の楽器をもって声を張り上げ主をほめたたえた時(歴下5:13)、神の臨在がその宮に満ちました。神の栄光の雲が主の宮に満ちていたために、祭司たちは勤めをすることが出来ない程でした(歴下5:14)。このように讃美は遠くおられる神を、近くにお招きするのに必要不可欠な聖なる香りであり、その結果人が予期することの出来ない神の大いなる御わざを起こさせる原動力なのです。
讃美は受けた恵みに対する感激の告白です。
当時、敬虔なセツの子孫たちは罪の多い世の中で、苦悩しながら暮らしていました。次々とおそい来る罪との熾烈な霊的な戦いにおいて、彼らは常に神の助けを受けて勝利の体験をしたはずです(申1:30,20:4,ヨシュア10:14,42,23:1,ネヘ4:20)。それらの体験を通してカイナンは、神から受けた多くの恵みに対する感激を彼の息子に「マハラレル」と名づけることによって神に栄光を帰し、多くの人々に神が生きておられることを証しようと努めたことでしょう。なぜなら、神の恵みを受け味わった者は、その体験を証しせずに、また、恵みをくださった神をほめたたえずにはいられないからです(使徒9:22,18:5,28,ヨハネ1:41)。
救い主イエス・キリストはイスラエルの12部族のうち、ユダ部族を通して来られました。その「ユダ」の名前の意味が、まさに「主を讃美せよ」です(創29:35)。イスラエルが戦争に出る時、常にユダ部族が先頭に立って出陣しました。そして、それらの戦いで常に勝利を治めました(士師1:1-10,20:18)。救済史の側面からマハラレルを見ると、やがて来るべきメシヤがユダ部族の中から生まれる事と(詩78:68-70,ヘブル7:14,黙5:5)、そして十字架による贖いと復活によって勝利を治め、ほまれと栄光を受ける方となられる事を予告したものであると言えます。土の器のようにもろい私たちの人生に、讃美と礼拝を捧げるべきお方は、救いをもたらして下さった主イエス・キリストのみです。
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