バベルの塔の建築Ⅱ

2015.10.22 08:02

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3. 散らされるのを免れるためにバベルの塔を建てました。(創世記11:4)

 これは神の創造の命令に逆らう行為です。神は初めに人を造られた時、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」(創1:28)と言われ、箱舟から出たノアとその子らにも「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」(創9:1,7)と祝福して言われました。この創造の命令は神の子らが全世界に広がって繁栄することによって、世の国を神の国へと変えていくためでした。しかしニムロデは自分の民を動員し、バベルの塔を築き、「全地のおもてに散るのを免れよう」と扇動する事によって一つの所にかたまって定着するよう図ったのです。

 これらすべて神にとっては悪でした。それで神は、彼らのもくろみを一瞬にして砕いてしまいました。創世記11章8〜9節に、「こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた」と記されている通りです。
 彼らに町を建てるのをやめさせ、全地の表に散らされた方法は言語を混乱させる事でした。言語は単に人の口から出るものというだけではありません。言語の統一は、思想と生活様式を一致させますが、言語の乱れは思想の不一致だけではなく、すべての生活全般に混乱を生じさせます。この言語の混乱によってバベルの塔の建築は中断され、あえなく彼らのくわだては失敗に終わりました。
 この事件が私たちに与える教訓は、人間がこの地上で生きながら、いかに緻密な計画を立ててそこに巨額の投資、数多くの人力を動員した建築を行い、偉大な夢を実現しようとしても、結局は言葉一つが異るだけで互いの意思疎通がなされず、目標を実現出来ないばかりか、ばらばらに散らされるしかないということです。預言者イザヤはこのような愚かな人間に向かって「わが手は地の基をすえ、わが右の手は天をのべた。わたしが呼ぶと、彼らはもろともに立つ」(イザヤ48:13)と言われました。サムエル記上2章6~10節でも、不妊であったハンナはサムエルを生んだ後、天地のすべてのことが神の主権的な摂理の中にある事を悟り、その告白の終わりに「主と争うものは粉々に砕かれるであろう、主は彼らにむかって天から雷をとどろかす」(10節)と歌いました。

 この世は悪を謀る時には速やかに一つとなり、その推進力が強く、その夢も巨大です。果たして私たちの信仰生活はどうでしょうか。神を受け入れず、人間を中心として人間の力を優先するバベルと同じ計画、手段、同じ目標ではないでしょうか。私たちはただ神の主権的な摂理の中で善い目的のために呼び出されたものです。ですから私たちは、天からの召しにかなう行動をとらなくてはなりません(エペソ4:1)。神は御計画に従って召された者たちと共に働いて、必ず万事を益となるようにしてくださいます(ローマ8:28)。私たちクリスチャンは「福音にふさわしい生活」、「福音のために力を合わせる生活」によって(ピリピ1:27)、神を喜ばせる信仰の歩みをする信徒になりましょう

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