ニムロデに先導されて人々がバベルの塔を建てようとした目的は、基本的に神から独立して自らの力で生きようとする欲求があったからです。聖書は、彼らがバベルの塔を建てようとした3つの目的を明らかにしています。
1. 町と塔を建てて、その頂きを天に届かせるためでした(創11:4)
ここに出てくる「町」と「塔」は「ジッグラト」といい、これはピラミッドのような三角形の傾斜をなしていて、中央に階段を設けそこから頂きに上れるようにして、その上に小さな「高き所」を築く建築物を指しています。古代世界において天に聳え立つ建物を建築する事は、人々の力を一つに結集する事によって巨大な国家を築こうとするねらいがあります。このようにして神の助けなしに人間自らの力で、安全で強大な統一国家を建設しようとする欲望が「バベルの塔建築」となって表れたのです。これは全世界的な大洪水の裁きから、あまり経っていない時の出来事です。ですから神の裁きに対する極度の不満を、彼らがこのようなかたちで表したと言えるでしょう。再び洪水で裁かないとの神の約束、すなわち虹の契約を彼らは完全に無視したのです(創9:8- 17)。そして人間の力で神の裁きに備えようとしました。なんと愚かな行為でしょうか。これは神が守ってくださるということを拒み、自分たちの力で自らを守ろうとする傲慢な試みであると言えます。まさにカインが神から与えられた守りのしるしを無視して、主なる神の前から自ら自分を守るために町を築き、そこに自分の子の名をとって「エノク」と名づけたのと同じ理由です(創4:15-17)。それらのすべての根底にあるのは、神に敵対しようとする悪魔の力です。
それは今日も同じです。世の中だけではなく「教会の中」でも聖書を中心とせず、一つの心、一つの思いを強調しながら闇の群れが一つに固まる場合がいかに多い事でしょうか。神の御言葉と関わりのない一致団結、神が認めない集まり。やがて後には互いの紛争と傷、虚無と誤解が残ります。このような神を無視した勢力の連合、人間の安楽と便利さを優先する集まり、これらは皆、事の始まりから不法、不義、偽善であり、ひいては神の壮大な救済の計画を妨げる結果となります。
2. 人の名を上げるためです(創世記11・4)
バベルの塔建築に携った人々はカインの後裔同様に、神の御名を上げるのではなく、自分たちの名誉のために名を上げようとしました。科学や文明の力で神の力に対抗し、神の御名ではなく自分たちの名を上げて、神と等しくなろうとする人間の傲慢さが表れています(イザヤ14:12-14)。そこで神は人の言葉を混乱させ、人々を全地の表に散らすことによって人間の傲慢さを打ち砕かれました(創11:7-8)。
エデンの園のアダムとエバも創世記3 章5節の、「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」と言葉巧みに語る蛇の言葉を聞いて、「神のようになろう」とする傲慢な思いを持ちました。その結果、彼らは善悪を知る木の実を食べてエデンの園から追い出されてしまいました。ヤコブの手紙4章6節にあるように、神は高ぶる者を退けるのです。