自分を誇示した者の最後

2015.09.09 12:53

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 アカンが上着一枚と金、銀を盗んだその時、イスラエルの人は誰一人知りませんでした。しかし神の目をごまかすことは出来ませんでした(ヨシュア7:1-26)。ミカルが窓からダビデが主の前に讃美しながら舞い踊るのを見て、心のうちにダビデをさげすんだ事を(サム下6:16)、誰も知りませんでした。しかし神は見て聞いておられ、その結果、ミカルは死ぬ日まで子供が与えられなかったのです(サム下6:23)。アナニヤが財産を売った代金から一部をごまかしたことを、妻以外は誰も知りませんでした。しかし神は、その悪しき心をペテロに知らせ、その結果、その日のうちに倒れて息絶えてしまいました(使徒5:1-5)。
 神の前で隠そうとする者、偽り騙そうとする者、神の前から逃げようとする者はなんと愚かな者でしょうか。
 イラデの名の意味の中で「誇示(誇る誇、しめす示)」というのは、実際より大きく表して見せようとすることを意味します。自分が現に持っている財産や容貌、権力や名誉をより大きく膨らませ、人に自慢することによって自ら慰めを受けるのです。バビロンのネブガデネザル王が大いなるバビロンを見て、自分の力と勢いと栄光を輝かすものであると力一杯誇示して自慢した時、その言葉が王の口にあるうちに天から声が聞こえてきて、ただちにその御言葉の通り、野の獣のように悲惨な身に転落してしまいました(ダニ4:28-37)。バビロン王メロダクバラダンの前で神の恵みを伝えず、自分の力と能力だけを誇り、自慢したヒゼキヤ王のせいで、ユダ国は滅ぼされるという宣告を受けてしまいました(列下20:16-19,イザヤ39:6-7)。神が心の中から離れていなくなった時、人々はその空しさを権力や名誉、名声で装い満たそうとします。そして金の力、学識の力、物理的な力で弱く貧しい人々をさげすみ、落胆させます。神がいない彼らの心はいかに空しい事でしょうか。聖書はそれらの人々に、「むなしいほこり」を持ってはいけない、それは「悪」であると言われました(ヤコブ4:16)。

 私たちの誇りは、ただイエス・キリストだけです(ガラ6:14)。神を離れ自分を誇示する人生ではなく、ただイエス・キリストだけを誇る人生を歩まなければなりません。

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