二つの人生

2015.09.18 13:35

閲覧数:102

941c585d14d63ce101b75d0f2cf55f40.jpg

 

 メトサエルの名前のように、人間は常にこの2つのどちらかの生き方をします。ある人は神の人として神の御心に従い神の栄光のために生き、神の御手の中で尊く用いられます。神の人とは神に所属する者、神に用いられる者と言う意味です。弱い存在である人間が、まったき神に用いられるだけでも大変光栄な事です。ですから「神の人」と呼ばれる事は、実に栄光に輝く称号なのです。モーセ(申33:1)、サムエル(サム上9:8)、エリヤ(列上17:18)、エリシャ(列下4:7,5:8)、ダビデ(ネヘ12:24)、その他、無名の預言者たち(サム上2:27,列上13:1)がそのように呼ばれたのです。使徒パウロはテモテに対し、「神の人よ」と呼んでいます(Ⅰテモテ6:11)。
 またもう一種類の人は、闇に捕らわれてサタンの手下の役割を果たしながら地獄の子としての人生を送ります。ユダの手紙11~13節では、カイン、バラム、コラのように神に敵対する人たちの生活を、「…さまよう星である。彼らにはまっくらな闇が永久に用意されている」と述べています。ここで「永久に用意されてあるまっくらな闇」とはまさに「地獄」を表しています。

 

 私たちの人生の進む道には、常に2つの相反する道が広がっています。申命記30章15節で、「見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災いをあなたの前に置いた」と言われている通りです。申命記30章19節でも、「…わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう」と言われています。
私たちが選択すべき道は一つです。私たちと私たちの子孫が生きるために必ず命を選ばなければなりません。そして神を愛し、その御言葉に従うことによって(申30:20)、私たちの生き方が神の人としての生き方になった時、「地獄の子」という闇の称号は完全に消え去るはずです。

XE Login