ヤレドの信仰の実

2016.01.23 17:21

閲覧数:111

90f69c1300bd4c9da31212a4aa0c69e3.jpg

ヤレドの信仰の実は彼の息子エノクに表れました。

 ヤレドは彼の名前の意味の通り、御前に自分を低くし、常に謙遜に生きたと思われます。彼の謙遜さは、彼の子に「エノク」と名付けたところにも表れています。「エノク」の意味が「献納」、「献げる」ということからも、父ヤレドは息子エノクを神に完全に捧げることを願っていたことがわかります。のちに、エノクは父ヤレドが抱いた念願を果たし、ついに死を克服して死を見ずに天にあげられ、敬虔な信仰の最高峰に到達しました。実にエノクは父ヤレドの信仰の実そのものでした。また「エノク」の名前の意味だけを見ても、父ヤレドがいかに神に対する献身的な信仰の持ち主であったかを知ることができます。親に献身する思いのない人が、自分の子を神の前に「献げる」と名付けることが出来るでしょうか。
 ハンナが幼子サムエルを主の宮に捧げたように(サム上1:22)、またアブラハムがモリアの山で一人子イサクをいけにえとして神に捧げたように(創22:2)、ヤレドもまたエノクを神に捧げました。それは、エノクが自分に授けられた子ではありますが、あくまでも神から賜った嗣業であることを知っていたからにほかなりません(詩127:3)。だからこそ彼は、エノクの本来の所有者である神の御心にふさわしく用いられるように願ったのです。
 ヤレドは時代を織り成す人間の堕落性を的確に捉えていました。そして、そこに正義と真理の基準を立てるために、自分の子を聖別して神の前に正しく生きるように喜んで捧げました。ヤレドは時代の腐敗を恨んだり何かのせいにすることなく、神に祈る霊的に成熟した信仰者であり、彼の子らを喜んで神の宮に捧げ、その時代と国家のために仕える公人として生きるようにさせた偉大なる信仰の父でした。

XE Login