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 創世記4章26節の「主の名を呼んだ」とは、すなわち「公的な礼拝が始められた」ことを意味します。この創世記4章26節は、新翻訳聖書(韓国訳)で「セツも子を生み、子の名をエノスと言った。その時はじめて、人々は主の名を呼んで礼拝を始めた」と訳されています。これはアダムの堕落後の235年間、まったく供え物が捧げられなかったということではありません。何故なら、その間カインとアベルによって供え物が捧げられているからです。では何故ここで「はじめて主の名を呼んだ」と言われたのでしょうか。それは彼らを通して、神に正しく仕える規則的な礼拝生活が始められたためです。神学者たちは、このエノスの時を「神の臨在を渇望する礼拝の根本的な精神と姿勢が確立された時」と述べています。これは自分の意志を捨て、神の統治を100パーセント受容するという姿勢であり、またその当時の罪悪が広がりつつある危機的状況から、速やかに救い出してくださるように訴える姿勢でもあります。
 カインの子孫たちが、自らの知恵と力に頼り、世俗文化に心酔している時、敬虔なセツの子孫たちは、神に立ち返り、自らへりくだり、神により頼み、神と交わる礼拝を築いていきました。

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