系図の救済史的意味

2015.06.22 09:46

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 救済史は、神のかたちに創造されたにも関わらず、罪を犯し死の道を歩まざるを得なくなった人間の救いと、宇宙万物の回復を成し遂げる御わざの歴史です。救済史の最も大きな流れは、「創造」と「堕落」、「回復」です。したがって、女のすえとして生まれるメシヤが誰か、そして彼を待望する神の民たちがメシヤを通じて受ける救いとは何かについて焦点が当てられています。このような救済史の核心的な流れと主題が、系図に記録されている人物たちを通して明確に提示され、また系図に記録されている人物の名前と、彼らが生きた時代の中に神の救済史を圧縮し、簡潔に表しています。聖書は、これらの救済史の中に登場する人物を分類し、大きな流れごとに、それぞれの単位を通して語っています。
 代表的なものは、創世記5章に出てくるアダムの系図です。この系図は、アダムから彼の10代目の子孫のノアまでを一区切りとしています。また、創世記11章に出てくるセムの系図は、セムから彼の10代目の子孫であるアブラハムで一区切りとなっています。これは、アブラハムに至る過程をありのままに示す事によって、メシヤがアブラハムのすえとして来られる事を明確にしているのです。特に注目すべきは、創世記5章と11章の系図が、今から約4000〜6000年前に起こった出来事であるにも関わらず、一人ひとりの出生の年や、彼らの子女の出産に関する事柄、そして彼らの生存年数まで一切漏れることなく継続的に記録されている点です。これはまさに、一つの完全な年表です。この系図は、実在した歴史の中で、神の救済史がただの一世代も抜ける事なく継続されてきた事を確かに物語っています。

 創世記の系図以後にあるボアズの系図(ルツ4:18-22)では、ユダの子ベレツからダビデまでを連結させています。これはヤコブの12人の息子のうち、4番目の息子ユダを通じてメシヤが来ることを示しています。これらの旧約の救済史の流れを全体的に要約しているのがマタイによる福音書1章の系図です。マタイは、「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」(マタイ1:1)であると記述し始める事によって、創世記5章と創世記11章とボアズの系図を通してメシヤとして来られるイエス・キリストを浮き彫りにしています。ですから創世記の系図を詳しく調べれば調べるほど、イエス・キリストに向かう救済史的な経綸がより鮮明に表れてきます。それぞれの系図に登場する人物の名前、出生と死亡の時期、また、それぞれの人物に関する記述などは、その時代の状況を知らせると同時にキリストのさまざまな姿を証しする啓示の役割を果たしています。そのような観点から系図を見ると、まさに救済史の核心である事が分かります。その意味で、系図の研究は神の経綸を最も確実に探し出す近道となるはずです。

 世の中に意味のない言葉は一つもありません。そうであるなら尚更、聖書の系図に登場する人物たちの中に、無数の宝が秘められているのではないでしょうか。私たちは決して系図を、人物の名前が意味なく羅列されているものとみなす愚を犯してはなりません。私たちは助け主である聖霊の感動と導きを通して、この系図の中から神の救済史の宝を掘り起していくべきです。

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