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カイン系列の系図とセツ系列の系図は「始まり」が違います。

 

 何でも初めが肝心です。最初のボタンを掛け違えば、全体が狂ってしまいます。まさに、この2つの系列の違いも始まりにありました。 

 

 1.カイン系列の系図は、神から離れることによって始まりました

創世記416節で、「カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ」と記されています。カインは神の前から離れ去って、エノクを生みました。

このように、神を離れたことによって始まったカイン系列の系図は、神とは何の関係もない系図となってしまいました。彼らがいかに華麗な業績を成し遂げたとしても、神を離れた人々は呪いを受けて、いつしか滅ぼされてしまいます(73:27)。エレミヤ書175節で、「主はこう言われる、おおよそ人を賴みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる」と言われています。

 

 2.セツ系列の系図は神から始まりました

創世記513節では、アダムの子孫の系図を紹介しています。その冒頭に記されたのが、神によるアダムの創造でした。次にアダムが130歳になって生んだセツの名が挙げられています。つまり、セツ系列の系図は、アダムに始まり、さらにさかのぼると、神から始まったことが分かります。

ルカによる福音書3章に記録されているイエスの系図にも「セツ、アダム、そして神に至る」と記されています。このように聖書は、神の救済史的経綸がセツ系列の系図によってなされていることを確かに証しています。

 これらの事実を裏付けるものとして、ノアの時代にセツ系列の人々が「神の子ら」という称号を受けた事を挙げることができます(6:2)。聖書は様々な箇所で、私たちと神との関係を「父」と「子」として紹介しています。

 参考-出4:22,申1:3114:132:5-6,サム下7:14,歴上22:10,イザヤ1:29:663:1664:8,エレ3:41931:9,ホセア11:1,マラキ2:10,詩2:768:589:26-27,マタ5:456:47:1110:20293211:2523:9,マル11:25,ルカ2:496:3610:21-2211:212:30,ヨハ1:124:218:415420:17,ガラ4:6,エペ1:17ペテ1:17

 

 これらの御言葉を今日の信徒たちの生活に当てはめてみると、祈らない者は神から離れた者であり、祈る者は神から始める者であると言えます(4:7)。また神の御言葉から遠ざかる者は、神から離れた者であり、御言葉に親しむ者は、神から始める者であると言うことが出来ます(1:1-3)

 

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