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 私たちが住んでいる世の中は、他人を騙したり、また自分も知らないうちに騙されながら生きる世の中です。私たちは誰かを騙すことだけが罪だと考えがちです。しかし、聖書を見ると自分自身を騙すこともやはり、他人を欺く罪に値します。自分を騙す行為は自分の良心を麻痺させる行為です。ガラテヤ6:3では「もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。」と語っています。では、自分を騙すとは具体的にどういうものなのでしょうか。


第一、自分に罪が無いと考え、傲慢であることが自分を欺くことです。

これは自分に罪があるのも知らず、まるで無罪で潔白な者かのように自らを欺くことを意味します。「私は教会でこんなに大したことをしたから立派な人だ」と考えるなら、その人はもう既に騙された者なのです(Ⅰコリント10:12)。神様の前では自分の足らない部分を認め、いつも謙遜でなければいけません(箴言18:12, 21:4)。私たちは、自分にも他人にも騙されてはいけないのです(Ⅰコリント3:18, 15:33, ヤコブ1:16)


第二、御言葉を聞かないことが自らを欺くことです。

世の終わりには数多くの者が騙され、悔い改めず、御言葉を聞きません(エゼキエル3:27,Ⅱテモテ3:13, 黙示録22:11)。偽りに囲まれているため御言葉に耳を傾けず、麻痺して罪が罪であると意識しないのです(Ⅰテモテ4:2)

しかし、知恵ある者は騙されません。信徒は今まで受けた恵みによって、御言葉を聞く時に信仰が生まれます(ダニエル12:10)。偽りに騙されず、神様の御言葉を聞くことこそがまさに知恵なのです(詩編111:10, 箴言2:7)


第三、信じると言いながら行いがないことこそ自らを騙すことです。

 神様の御言葉を聞きながらも行いが無ければ、死んだ人と同じです。御言葉を聞くとき、行いが常に伴わなければいけません。御言葉を聞けば、神様の力があらわれます(ローマ1:17)。ですからヤコブは、「御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない」と警告しているのです(ヤコブ1:22)


 私たちクリスチャンは、他人を騙すことはもちろんのこと、自分自身を騙してもいけません。いつも神様の前に謙遜で、神様の御言葉に耳を傾け、行いが伴う信仰の歩みをする信徒になりましょう。

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