委ねる暮らし (詩23:5-6)

2015.06.09 13:46

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 「ゆだねる」ということは相手に対しての限りない信頼と、
自分を空にすることなくしては不可能です。


 私たちは神様に「ゆだねる歩み」を望みながら硬く決心します。しかし、私たちの中に神様に対する信頼が少しでも不足していたり、または私自身を空にしようとする心に少しでも穴が開けば、決して実行に移すことのできないことがまさに「ゆだねる歩み」です。しかし、私たちの主であるイエス・キリストは、十字架にかけられる瞬間にもすべてのことをゆだねる真の信仰の手本となってくださいました。私たちもそのような主に見習って、心から主にゆだねる歩みを歩まなければなりません。

 イエス様は、まずご自分の「霊」を父なる神に委ねられました。「父よ、私の霊をみ手にゆだねます。」(ルカ23:46)と祈られた主の祈りの内容は、まさにご自分の霊を父なる神様に完全にゆだねた頼みの祈りでした。また、イエス様はご自分の肉体までもゆだねられました。アリマタヤのヨセフにご自分の肉体をゆだね、葬儀を行わせました。十字架に架けられながらも、着ていた服をローマの兵士たちにすべてお与えになりました。肉親の母であるマリヤは、愛する弟子ヨハネにゆだねられました。このように主は「主はわたしの牧者であって、わたしに乏しいことがない。」と言われた信仰を身をもって実践されました。ですからご自分の霊と肉体、服までもすべてをゆだね、平安な信仰の中で十字架を負われたのです。

 復活された主がこの世を離れ、天に昇られる前に、愛する弟子たちに何を残されたのでしょうか? ヨハネ20:19、21、26に書かれている「安かれ」という御言葉を見ると、イエス様は弟子たちにご自分の「平安」を残してくださったということを知ることができます。信じることができず、疑っていたトマスにさえも平安を許されました。これは、主の平安を弟子たちにゆだね、栄えさせ、またそれを全人類に述べ伝えることによって共に共有することを望まれたからです。
 主のようにすべてを空にして、完全にゆだねる者だけが神様の恵みといつくしみを受けることができ、神様の平安が生涯私たちを守ってくださり、保護してくださるのです。

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