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 詩篇23篇の内容は、神様が私たちの牧者であり、私たちはそのお方の羊であって、いつも休める憩いの水のほとりに導いてくださり、義の道、御言葉の正しい道に導いてくださるという内容です。私の気分や思い通りにではなく、神様が望んでおられる道に導いてくださるということです。主が私の道を導いてくださるということは、苦しかった私たちの人生の道を栄に、そして繁栄の道に導かれるということを意味しています。色々な心配や憂いの中で、歩き果ててくずおれるとき、「あなたはなぜここにいるのか!」と慰めの御言葉をもって私たちの元に来てくださいます。それは力ある右の手で私たちをつかみ導いて行かれる真の牧者の姿です。嵐のように心が揺れ動き不安な中にあったとしても、神様が私たちの手をつかんで導いてくださるならば、そこはどんな場所であっても「静かな水のほとり、憩いのみぎわ」になるのです。結局、主が私たちを導かれる終着点はこの世のどの場所でもなく、天国であることを指しています。


 アメリカの有名な人公民権運動家であったマーティン・ルーサー・キング牧師は、詩篇23篇を好んで歌い、その御言葉通りに信仰を実践する人生を歩みました。彼は白人と黒人に分けられた人種差別に真っ向から戦い、ただ詩篇23篇の御言葉だけをつかんで走り続けました。自分の子供たちが肌の色ではなく、彼らの品格と人格で評価される日を夢見て、どんなに強い圧迫や迫害の中でも、主が「休める憩いの水のほとり」に導いてくださることを信じて歩み続けました。キング牧師のそのような信仰があったために、真の自由と平和の世界がより速く到来したのではないでしょうか?

 私たちが「救い」というのは、神様の「命」に導いてくださることを言います。
 私たちが「望み」というのは、神様が「明るい未来」に導いてくださることを意味します。
 私たちが「平安や幸せ」というのは、私を導いてくださる神様に、私たちの時間と私たちのすべてをゆだねて生きることを指します。

 このすべてのことは、私たちの牧者となられる主が、子羊のような私たちの手をつかんでくださり、導いてくださることによって、憩いの水のほとりで心置きなく水を飲み、お腹いっぱいに食べ、いつも平安な暮らしをすることができるのです。

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