2.jpg

 ダビデはイスラエルのともし火でした。神様は彼が生きている時だけではなく、死んだ後も神様の契約が成就されるまでダビデをイスラエルのともし火とされました。


1. 魂のともし火が明るくなければなりません。

 人の魂は神様のともし火です(箴言20:27)。愚かな5人の乙女はランプに油がなかったため火を灯すことができませんでした(マタイ25:1-12)。終わりの日にも真理の聖霊(助け主)の油を受けることができなければ生き残ることはできません(ヨハネ14-16)。イエス様も「あなたのなるくならないように注意しなさ(ルカ11:35)と語られました。教会は賛美、祈り、御言葉、恵み、伝道のともし火が明るく燃え上がらなければなりません。すなわち“情熱”がなければなりません。悪人のともし火は消えますが、義人の光は明るく輝きます(箴言13:9, 24:20, ヨブ18:5-6)


2. ダビデはイスラエルのともし火でした。

 ダビデの統治末期にペリシテ人が侵略してきた時、ダビデは年老いて気力も弱い状態だったのにも関わらず戦争に出て行きました。ダビデを心配した彼の家来たちはイスラエルのともし火が消えてはならないと、彼を止めました(サムエル下21:17)。彼らは神様がダビデ王を通して永遠の契約(サムエル下7:11-16, 歴代志上17:7-14)を成就されることを知っていたからです。ですから家来たちはダビデ王を民族の希望、ともし火として、どんなことがあってもダビデ王と共に呼吸し、心も行動も共にしました。特にダビデの傍を一分たりとも離れることなく忠誠したアビシャイは、ダビデを殺すと言っていたペリシテのイシビベノブを撃ち殺しました(サムエル下21:15-17)。このように神様は悪の勢力が完全に滅亡するまで、イスラエルのともし火が消えることのないようにされます。


3. ダビデ王は死んだ後にもエルサレムを照らす命の光でした。

 ダビデ王は死んでしまいましたが、彼の信仰は永遠になくなることがないため、数百年という歳月が経っても彼が灯した光は消えませんでした。神様はソロモンの犯罪(列王記上11:36)に続いてダビデの子孫たちの悪事によって、すぐにでもエルサレムを滅ぼそうとしましたが、ダビデと固く結んだ契約を思い起こしてもう一度彼らを悔い改めさせ、信じさせながらともし火を灯し続けられました。同じように神様は信徒と契約を結び、彼らをともし火だと認められます。ですから悔い改めて戻ってくることを最後まで我慢して待っておられる神様を覚えながら、まだ信じずにいる家族や隣人のために祈る「祈りのともし火」となりましょう。


結論: 家庭や国家、個人が間違った行いをしたとしても契約のともし火があるなら滅びることはありません。ですから、私たちが聖なるともし火となり、また多くの魂のともし火を照らす時、この国や私たちの教会も希望が絶えることがないということを信じましょう。

XE Login