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 どの時代でも人が住む地では、衣食住が問題です。その中で特に食料の問題が解決されなければ、恨みや不平不満が止むことがありません。荒野で生活をしていたイスラエルの民が、「神は荒野に宴を設けることができるだろうか」と言いながら神様を試した時、神様が天から「マナ」という特別な糧を降らせてくださいました(詩78:18-19)。


1. マナは天から降らせて下さった特別な糧です。
 マナは荒野という限定された場所に降った非常食であって、人の手で農業を営み、地から刈入れた穀物ではなく、天から降らせてくださった物です。ですから、それは「天の穀物」(詩78:23-24)、「力ある方のパン」(詩78:25)、「あなたの穀物」(ネヘミヤ9:20)、「霊の食物」(Ⅱコリント10:3)、「先祖たちも知らなかったマナ」(申8:3,16)などの名称で呼ばれています。
 味は蜜をいれたせんべいのようで(出16:31)、油を入れて調理すると油菓子の味のようでした(民11:8)。蜜は完全食品で、マナの中には人間に必要なすべての栄養素が含まれていたことを知ることが出来ます。
 形は、薄くてうろこのようなものがあり、薄い霜のようなコエンドロの実のようであり、白く艶やかな真珠(ブドラク)のようでもありました(出16:14,31,民11:7)。
 マナが降る時間は、夜に露が降りる時です(民11:9)。200万人以上が1日に食べる量であるため、雨のように降り注ぎました(詩78:24)。また、太陽が暑く当たれば溶けてしまうために、イスラエルの民は毎日朝早く起き、取り入れなければなりませんでした(出16:21)。マナを調理する方法はひきうすでひいたり、うすでついて窯で煮ました(民11:8)。力ある方が天から降らせてくださるものであるため、しょっぱかったり味が薄いということがなく、調味料を必要とすることもありませんでした(詩78:25)。

2. マナを集める法則は正確に7日周期です。
 マナを集める量は1日に1人あたり1オメル(2.34kg)で、安息日の前日である第6日目には平日より2倍を集めました(出16:16-18,22)。第7日は安息日であるためマナが降らないと言ったのにも関わらず、民のうち数人は第7日に集めに行きましたが、得ることが出来ませんでした(出16:26-27)。200万人が食べたマナの1日の量は468万㎏(2.34kg×200万)で、4㌧トラックでいうと1170台です。第6日には2倍を集めたため、936万㎏で、4㌧トラックでは2340台の量でした。
 天からマナが降ったという事自体が、どれほど神秘的なことでしょうか?これは、神様だけを仰ぎ見て寄り頼むとき、私たちの人生に神様の恵みが途切れることがないということを、マナを通して教えられたのです。平日に集めたものは、その日のうちにすべて食べ、残してはならないと言われました。しかし、モーセの言葉を聞き入れようとせず欲を出して多く集め、次の日の朝までとっておくと、虫が出て臭くなりました(出16:19-20)。第6日に集めたものは、モーセの言葉どおりに安息日である次の日まで、臭いも虫も出ることがありませんでした(出16:24)。
 今日の私たちの人生もこれと同様です。神様の御言葉に従順し安息日をしっかりと守れば、誠なる自由を楽しみ、すべての生活が良くなります。イエス様が「真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」という御言葉のとおり(ヨハネ8:32)、くださる真理の御言葉を悟ることが出来なければ、しもべの身分から抜け出すことは出来ません。ですから神様はイスラエルの民に、エジプトでしもべとなったことと、そこから救い出されたことを覚えて神様だけに仕えれば、食物と水に祝福をくだし、病いを取り除いてくださると約束されました(申24:18,出23:25)。
 信徒の皆さん、マナの法則はただ1つです。民に安息日の遵守を命令され徹底的に守るようにさせるためでした。ですから、出エジプト記16:4でマナを降らせて下さった理由について、「彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう」と確実に明かしています。また、人がパンだけでではなく、神の口から出る一つ一つの御言葉によって生きるということを教え(マタイ4:4)、民たちを低くされ、鍛錬されようとする目的(申18:16)、そして約束の地カナンで財産を得る祝福と、最終的には永遠な安息をくださるためでした(申8:18)。

3. 荒野でマナを食べた期間は2084週です。
 イスラエルの民は、エジプトを出てから1ヶ月ぶりである出エジプト元年2月15日にシンの荒野に到着しました(出16:1)。その次の日、元年2月16日の日曜日から第41年1月15日土曜日までの、39年11ヶ月の間マナが降りました。イスラエルの民が、第41年1月14日、エリコの平地で過ぎ越しの祭りを守り、その翌日(15日)その地の産物を食べ、その次の日(16日)にマナが止みました。すなわちマナを食べた最後の日が1月15日の土曜日です。その後にイスラエルの民は、二度とマナを見ることができませんでした。その時にマナを恋しく思いながら、過去にマナの7日の法則に不平不満を言っていたことを後悔しました。このような事実を、ヘブル書の記者は「彼らが不信仰のゆえに、安息に入っていくことができなかった」(ヘブル3:18-19)と、記録しています。
 マナが安息日の次の日から始まり、安息日に終わったことを見るとき、マナが降った期間は7日を周期に正確に合い、実際の暦から数えて見ると、1日も余ることがなく、2084週反復され、全日数は14588日(2084×7日)となります。
 荒野生活の全期間は、元年1月15日にエジプトを出て(民33:3)、第41年1月10日にヨルダンを渡りギルガルに宿営したため(ヨシュア4:19)、宗教暦では40年から5日が足りません。これを太陽暦で換算すると、エジプトを出た日が4月23日木曜日で、カナンに入った日は4月26日月曜日です。よって、全日数は14614日[40年×365.25(ユリウス暦)+4日]で、イスラエルの民は荒野で2088回の安息日(14614÷7)を守ったということを知ることができます。
 歴代が変わり、国と王朝が興亡を繰り返しても安息日は変わることなく、いつも反復されています。

結論:新旧約の一貫された主題はまさに「安息の回復」です。よって神様は創造の第7日に安息され(創2:1-3)、十戒の中の第4戒を安息日の遵守として制定されこの日を必ず記憶し、守ることを繰り返し命令されました(出20:8-11, レビ19:30, 26:2)。私たちは、イスラエルの70年のバビロン捕虜生活の原因がまさに、第7日の安息日と第7年の安息年を遵守しなかったためという事実を銘心して(ネヘミヤ13:17-18)、神様と永遠に契約を結んだ安息日を守り、子孫万代に至るまで祝福を受ける信徒となりましょう(出31:13, 20:10, 申5:14, レビ19:3)。
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