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 かつて預言者イザヤは「ヨベルの年」を示して「めぐみの年」と表現し、その時には心が病む者を癒し、捕われ人、縛られている者を自由とする福音が宜べ伝えられると予言されました(イザヤ61:1-3)。約750年ぶりにイエス様が来られ、イザヤのこの予言を朗読された後、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説かれたことによりヨベルの年の歴史が始まりました(ルカ4:16-21)。


1. ヨベルの年は、創造された本来の世界に帰っていく
救済史の完成の時の模型です。

 今日の本文、レビ記25章は安息の年とヨベルの年についての掟(1-22節)と、安息の年とヨベルの年の土地、また身分の保証(23-25節)について語られています。6日間働き、7日目に休み、安息日を守ることと同じく6年間地に種をまいてその産物を取り入れ、7年目は地と家畜を休ませる安息の年とし、その残りは貧しい者と野の獣が食べれるようにしなければなりません(出23:10-13, レビ25:4-7)。また同族の中で6年間奴隷として仕えた者をも許し、自由を与え、から手で去らせずイェス様が恵まれたように彼らに与えなければなりません(申15:12-18)。ヨベルの年は安息の年と似ていますが、7年、すなわち安息の年が7回過ぎ(7×7=49)50年目となる年を示しています。ヘブル語で「ヨベル」と言い、「羊の角」という意味です。大贖罪日である7月10日にラッパを吹き、ヨベルの年の始まりを知らせるのと同時に、僕たちが自由を得るようになったためヨベルの年を「羊の角(ヨベル)の年」とも言います。ヨベルの年は安息の年が過ぎた後にもなお、神様を頼らず、自分たちの力で生きていこうとする民たちの罪を悟らせるため、安息の年を拡張・補完した制度です。これは、神様の民をもちいて過去の罪悪と誤った習慣を完全に清算するようにし、人間が罪を犯す前の世界に戻らなければならないということを教えています。ヨベルの年には多くの負債をもなくし、土地を返し、しもべをも解放しなければならず、このヨベルの年にイスラエルの経済が復興されました。神様は被造物を創造された本来の目的に戻り、神様だけに仕え神様の御言葉にだけ従順して、信仰と霊を回復させるために「ヨベルの年」という権威的な恵みの御業を施されました。


2.ヨベルの年は御言葉を通して私たちに
安息を与えようとされる神様の愛です
 人が恐れ敬う対象は、神様だけです。ですから、ヨベルの年のポイントは「神様を恐れ敬う思想」であると今日の本文は語っています(レビ記25:17, 36)。1年間働かないことによって与えられた安息の時間、神様が私たちの出入りを守り、祝福され、心配する必要がないほどの糧を与えてくださり(詩篇121:8, 箴言10:22)、イエス様の掟と定めを正しく守りさえすれば、神様が与えてくださった地で長く命を保つことができるだろうと約束されました(申4:40)。これと共に、世の荒波に悩まされ疲れた人も休んでいる間、霊性を回復し知恵と知識と信仰が成熟されます。神様はすでに民が心配することを知られ、「あなたたちが7年目に種を蒔くことも産物を集めることもできなければ、何を食べようかと言うのなら、私が命じて6年目に3か年分の産物を実らせるであろう」(レビ記25:20-22)と語られました。神様がこの地に向かって直接命じられ、3年分の産物を与えてくださるということです。安息年の仮庵の祭(7月15日から7日間)には、レビ人と祭司長が御言葉を読み聞かせ、民の男女と子供、および寄留している他国人まで、イスラエルから聞いて学んだ御言葉を守り、神様を恐れ敬うことを学ばせなければなりません(申31:10-13)。そうするなら、その地で長い間安らかに暮らして(レビ25:17-18, 申4:40)必ず祝福を受け、民の中に貧しい人がなくなると語られています(申15:4-6)。すなわち、地の産物と穀物とぶどう酒と油を豊かにされ、牛と羊を繁栄されるヨセフの祝福(創49:22-26)、ちよろづの祝福(詩144:13)を下さり(申7:13)、食物と水に祝福をそそがれ、病をも癒してくださると約束されました。しかしイスラエルの民は肉の考えにより、目の前にある物に対する欲で満ち、7年目の農業を諦めることができませんでした。その結果、安息年とヨベルの年を約70回も守らず、神様からの懲罰として70年のバビロン捕虜生活をするようになされ、無理やりこの地を安息するようになされました(レビ25:11)。神様が剣と疫病、飢饉を送られる前に、早朝から使者を送り警告されましたが、聞きませんでした(代下36:15-16, ネヘミヤ9:29-30)。しかし、このような艱難もまた、民が戻ってくるようにするための神様の愛でした(アモス4:4-11)。
 信徒の皆さん、主日は神様の日です。たとえ主日に働いて多くの収入を得たとしても、神様が一度吹き払われれば(ハガイ1:9)それは「破れた袋に入れているようなもの」(ハガイ1:6)となり、むしろ損害をこうむることになります。神様は自分の力で生きて疲れた人たちに「あなたの重荷をイエス・キリストに預けてしまえば、あなたを支えられ、計るところを成される」と今も切に語っておられます(詩篇55:22, 箴言16:3)。

結論:人間はわずか100年も生きられないため、50年周期のヨベルの年を2回迎えることが困難です。イスラエルの民は神様の愛と祝福をそそがれた、このたった一度の機会を悟ることができなかったため、ヨシュアと共に神様の奇跡を体験した世代の人々が死んだ後には、安息年とヨベルの年、さらには安息日をもきちんと守りませんでした(ヨシュア24:31, 士師記2:7,10)。
 霊的なアブラハムの子孫となった私たちは、正義と公道、すなわち御言葉によって神様を恐れ敬うことを子孫たちに伝え教え、救済史の完成の時すべての人が真なるヨベルの年の成就によって永遠な安息を受ける信徒となりましょう(ガラテヤ3:29, 創8:18-19, ヘブル4:8-9)。

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