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1. 神様の御言葉は権威と力によって働かれます。
 イエス様が公生涯を歩み始められた後、人々に神様の御言葉を伝えられたのですが、人々はみなその教えに驚きました。なぜなら、イエス様が学ぶことのできなかった貧しい大工の息子であるとだけ知っており、書記官たちとは比べ物にならないほどに権威のある新しい教訓を伝えられ、また御言葉によって病気を癒し、汚れた霊を追い出すのを見たためです(マタイ7:28-29, 13:55, マルコ1:22, 27, 6:3, ルカ4:23)。宗教指導者たちがイエス様を捕らえるために送った下役たちさえもイエス様の御言葉を聞き、手を出すこともできずに「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」と告白しました(ヨハネ7:46)。このようにイエス様の御言葉には権威と力、生きて動く生命力があります(ヘブル4:12)。わたしたちが御言葉を聞くと、その御言葉はわたしたちの中で消えることなく生きて動きます。神様は死んだ者の神様ではなく、生きた者の神様であり、神様にとってはすべての人が生きているためです(ルカ20:38)。
 皆さん、神様の国は単純な「言葉」にあるのではなく、その言葉による「力」にあります(Ⅰコリント4:19-20)。ヘロデ王はイエス様に関する話を聞いて、力が彼の中で働いていると言い(マルコ6:14)、使徒パウロは「神はその力をキリストのうちに働かせて」(エペソ1:20)、「御力をもって神の御子と定められた」(ローマ1:4)と言いました。また、ペテロは「神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました」(使徒行伝10:38)と語りました。

2. 神様は御言葉を伝える人を通して働かれます。
 新旧約聖書66巻は1500余年という時間の間、約35人の著者がそれぞれ異なった人格と個性によって、それぞれ異なった時間と背景で記録しました。それにも関わらず記録した目的はもちろん、主題と細かい内容まで完璧な統一性を成しているのを見ると、聖書は神様が人を通して働かれ、聖霊の働きによって記録された神様ご自身の御言葉に違いありません。こうして神様は御言葉を伝える人を通して働かれます。信仰はキリストの御言葉を聞くことによって生まれるため(ローマ10:17)、神様はたくさんの伝道者の口を通して御言葉を伝えられ、魂が救われることを喜ばれました(Ⅰコリント1:21)。
 皆さん、伝える人なくしてどうやって聞き、聞くこともできなかったのにどうやって信じられるでしょうか(ローマ10:14)?ですから神様に呼ばれたわたしたちは、「良きおとずれを告げる者の足」とならなければいけません(ローマ10:15)。

3. 神様は御言葉を信じる者の中で働かれます。
 御言葉が生きて働かれるという最も力強い証拠は、創世記1章で宇宙万物が「神は言われた」という、御言葉によってすべてが創造されたという事実です。御言葉自体が自ら日にちと時間を発生させる神的な適用をするのです。すなわち宇宙万物は神様の御言葉によって正確に動いており、さらに人間の救いの御業もまた神様の御言葉によって完全に成就します(イザヤ43:1, 55:11)。神様の御言葉は聖霊の目に見える働きであり、正直な主の声であって真実で完全なものであり(詩篇9:7-10)、一度語られたら実を結ばずに戻ってくることがありません(イザヤ55:11)。また御言葉は永遠の生産力によって心を満たし、余裕を与え(詩篇1:2-3)、悔い改めと感謝、信仰を働かせます(コロサイ3:17)。御言葉は「出来事」を起こし、その出来事は「歴史」を作ります。神様がノアに御言葉を語られると救いの箱舟が造られ(創世記7:1)、アブラハムに語られると彼の子孫が敵の門を討ち取り(創世記22:17-18)、モーセに語られると杖によって紅海を分け、岩から水を出しました(出エジプト14:16, 17:6)。
 皆さん、どんなに苦しくて胸が詰まっても、神様の御言葉を心に迎え、信仰によって祈りさえすれば、何でも望んだとおりになる御業が起こるということを信じましょう(ヨハネ15:7)。

結論: 2千年前、イエス様の御言葉一言で、死んでいた会堂司ヤイロの娘と(マルコ5:41)、ナインという町のやもめの息子が生き返り(ルカ7:14)、ラザロが墓場から歩いて出てくる奇跡が起こりました(ヨハネ11:43-44)。神様は今日も死んだ者を生き返らせる力ある御言葉、すなわち新旧約聖書を通して、わたしたちの中で働いておられるという事実を最後まで信じることによって、神様が約束された永遠の命の祝福を受ける信徒になりましょう(Ⅰヨハネ2:25)。

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