聖書の中でエノクについて記録されている箇所は多くありません。しかし、救済史の観点から見ると非常に大きな意味を持っています。
1.エノクが天に移されたのは神様と共に歩む生活をしたためです。
アダムからノアまでの10代の記録の中、「死んだ」という言葉が9回出てきますが、唯一エノクだけが死を見ないで天に移されたと記されています。聖書はその理由をただ一つ、神様と共に歩んだためだと説明しています(創世記5:24)。お互い気が合わないと共に歩むこともできません。つまり、神様とエノクは常に気が合って深く交わり、多くの秘密を共有していたことがわかります(アモス3:3)。私たちが神様と共に歩める方法は、まず信仰によって神様に喜ばれることです(ヘブル11:6)。次は常に感謝することです(詩篇50:23)。感謝のいけにえをささげる者が神様をあがめ、神様の救いを見ることができます。
2.エノクが神様と共に歩むようになった決定的なきっかけは、
65歳になってメトセラを生んだことです。
今日の本文のポイントは、エノクがいつから神様と共に歩んだのかということです。それは彼が65歳にメトセラを生んでからです。メトセラが生まれる前、世の考えだけをしていたエノクの65年間の人生については何も記録されていません。神様と共に歩むようになった決定的なきっかけは65歳にメトセラを生んだことにあり、メトセラの誕生によってエノクは人生における転換期を迎えます。それまでの人生を振り返って心から悔い改め、それまでの生活や習慣、心構えを全部投げ捨てました。その後エノクは300年間神様と共に歩み、神様と共に歩みながら子供たちを生みました(創世記5:22)。神様と共に歩みながら子を産んだということは、当時地球上にいた数多くの子供の中でもエノクの子供たちだけは神様に見守られていたということを意味します。
3.エノクはメトセラを通じて代々の年の中に表われた、
神様の隠された事を悟りました。
エノクの息子メトセラの生涯は、救済史的に大変深い意味を持っています。そのため、私たちは申命記29:29のように代々の年の中に隠された、神様のくすしき御わざについて考えてみる必要があります。隠された事、すなわち神様のご計画と御わざは、神様だけがわかることであり、他の誰にも知られたことがなく、表わされたこと、すなわち神様がすでに啓示された事は永遠に私たちと私たちの子孫に属されています(申命記29:29)。では、誰がその隠された事を悟れるのでしょうか。
第一に、主を畏れる人に主の親しみが与えられ、その隠された事が示されます(詩篇25:14,アモス3:7)。第二に、神様の霊が宿っている人です。神様の霊によらなければ神様の御心を悟ることはできません(Ⅰコリント2:11)。第三に、神様から来た人が御言葉を聞き悟れます(ヨハネ8:47)。第四に、正しく行う人に良いものが与えられ、主の道を悟ることができます(詩篇84:11, ホセア14:9)。
メトセラは187歳のときにレメクを生み、レメクは182歳でノアを生み、ノア600歳の年に洪水があったため、187+182+600=969、つまりメトセラが969歳で死んだその年に洪水の事件が起こったのです。エノクはメトセラという名前の意味をわかっていたため、常に目を覚ましていました。イエス様もマタイ24章で人の子の現れるのもノアの時のようであると言われ、神様の御言葉は一字も廃ることなく全うされるため(マタイ5:18, 24:35)、常に目を覚ましているよう言われました(マタイ24:37,42)。普段から油を用意して目を覚ましていた花嫁だけがすぐ灯りを灯し、花婿を迎えに出て行けるのです(マタイ25)。
結論:エノクは洪水の事件の969年前に予告を受け、天に移される前までの300年間自分だけでなく家族全員にも世の終わりを準備する聖なる生活をさせました(創5:22)。神様が信仰の父アブラハムを呼ばれた目的も同じく、アブラハムの子孫にも主の道を守らせ、神様の契約を絶やさないためでした(創18:18-19)。このように、信仰の中でアブラハムの子孫である私たちを通じて神様の契約が全うされるよう祈る信徒になりましょう(ガリラヤ3:29)。